院長の部屋

クレール ダユのオールドヴィンテージ

昔,高輪にラ シュエットというワインバーがあった.高級マンションの一室を改装して,そこで最高のグランヴァンと料理が饗される場を提供していた.オーナーは武居征吾氏,元プロテニスプレーヤーにしてナレーター,そして12万本のワイン所有者である.フジテレビ“HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP”で最初の頃「HEY!HEY!HEY!」と叫んでいたナレーションの声,彼がその人である.
スタッフは女性シェフ高橋啓子さん(先輩の女医さんに似ていたので,僕は操先生と呼んでいた.),そしてソムリエの吉津信幸さん.高橋さんの料理は美味い.イベリコ豚の中でも最上級のべジョータをソテーするのだが,火の通し方が完璧,この豚料理を食べて豚は脂を食べるものだと悟った.イベリコの脂身はLDLコレステロールを下げるとどこかで読んだが,本当かな?イベリコは生ハムも最高に美味く,このお店でその魅力に取り衝かれた.魚は佐島から直送されてくるものを扱っていたし,牛肉は山形のチャンピオン牛に白トリュフをこれでもかとどっさり目の前でかけてくれる.煮込み料理にはDRCが入っていたり,とにかく度肝を抜かれる.この様な料理に最高のマリアージュのワインを勧めてくれるソムリエが吉津さんだった.とても信頼できるソムリエだった.現在ラ シュエットは場所をかえて六本木に存在している.でも開店時のスタッフである,操先生も吉津さんももう居ない.僕はあの三人のラ シュエットが好きだった….
そんな店で僕は初めてオールドヴィンテージワインを飲んだ.‘57 クレール ダユのボンヌ マール.色は枯れたレンガ色,グラスを近づけた際の衝撃といったら….腐葉土とか湿った森の下草とか,教本に書いてある香りの単語の意味がスッと理解出来た.勿体なくて飲めたものではない.ずーっと香りを嗅いでいたかった.ワインの価値は香りである.香り80%,味20%といったところか.ボンヌ マールはシャンボール ミュジニー村とモレ サン ドニ村にまたがるAOCであり,骨格がしっかりしており男性的であると言われる.シャンボール ミュジニー村のワインは骨格がしっかりしていながらも,より華やかであり女性的,モレ サン ドニ村のワインはよりコクがあり男性的である.クレール ダユのボンヌ マールがシャンボール ミュジニー村かモレ サン ドニ村か,どちらに属するボンヌ マールか知らないが,孫にあたるブリュノ クレールが現在造っているボンヌ マールがモレ サン ドニ村に属しており,恐らくクレール ダユのものも同じくモレ サン ドニ村に属していたものと思われる.多くのボンヌ マールがシャンボール ミュジニー村産であるから,僕が飲んだボンヌ マールは男性的と言われる中でも,更に男性的なものであったに違いない.半世紀を経て,その男性的なボンヌ マールはなめし皮の芳香を放ち,角が取れまろやかでエレガントなものになっていた.元が男性的であったからこそ半世紀もの長熟に耐えたのであろう.後日吉津さんから,「あの後,2本同じワインを開けたのですが,ダメになっていました.吉澤さんはラッキーでした.」と聞かされた.僕の人生より長い50年もの間寝かされ続け,あの晩奇跡的に生きていてくれた….感謝である….と,そんな事を想っている場合では無かった!隣で妻がせっせとボンヌ マールを空けていたのである.ああ~.
あの店には兄夫妻と良く行ったのだが,何故か吉津さんは「吉澤家と言えばDRCですから.」とDRCのワインをよく勧めてくれた.吉津さんが店を去ってから久しい.何処にいるのかと思っていたら,兄貴が見つけた.ワインで有名な酒屋にインターネットでウイスキーを注文したら返事が来て,「どうも~,吉澤さん.お久しぶりです.吉津です.」と.

見つけた,吉津さん!又良いDRC勧めてよ.

2012.11.18  ワインエキスパート  吉澤亜人